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自分の人生って何だと改めて問う時期なのでしょうか 年齢的に

みなそれぞれにある種の絶望と諦めと戦っているのですね

幸せになれればいいのに ね?

いつか誰かが心の中にすっぽりはまるといいね
互いにそうなったらもっといいね

でも そうじゃなくてもいい人生を
見出さなきゃいけない
世界は自分のものではないから

意志なきものを 信じてはいけない
愛も信頼も
いつでも幻にできるから
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去年は、特に大きな事故もなく落ち着いていられたので、とても幸運だったと思います。
そのような平凡な幸せの中で色々なことがあり、DCやアメリカ滞在といったような具体的なものを得た一方で、ある種のときめきと柔軟性とでもいえるような抽象的なものを失ったりしました。
結果として、いつもより少し学ぶものがおおかったです。

学んだものの一つには、無知の知、つまり自分の世界の狭さ、自分が認識していない世界の広さ、というものもあります。
ジェネラリストはきりがないと思っているし、それを求める気は毛頭ないんです。
でも、まだ知らない世界の中に、皆のハッピーに近づくためのヒントも、自分の不足を補うピースも、転がっているかもしれないですね。
これから色々な人・ものと出会って、そういうものを拾っていければいいなって思います。

また、2度の1ヶ月のアメリカ滞在は、確実に自分の価値観を変えていっています。
外国としての、小さな島国としての、そしてふるさととしての日本への見方が、自分の中で確立しつつあります。

自分のような詩人でもなんでもない人が書くのはおこがましいことだとは思いますが、自分にとって詩とは?という問いに対する答えも、実はアメリカで見つけました。
余白を求めていたんだと思います。
物がつまった家に部屋を一個継ぎ足して、そこには机一個と花瓶一個と綺麗な花を置いておく。それ以外は何も置かない。
それに似た作業だったんですね。

鯨の話を長いことしていない
ノートの行間の随筆が 一人で闊歩し始めたので
その後はご想像にお任せします、と
隣の私に打ち明ける
のを見逃す筈がない先生

プランターの植物は 優しさを求めているのに
先生は今日も日光浴をさせたがる
そしてまだ鯨は雲だと思っている
窓際の私と目配せをして
ああ やはり同じことを考えていた、と
ようやく席を立つ

もう何でも良いやという程に 打ひしがれた分だけ
傲慢になっていくのは何故だろう
小さな種を育てるための手が
優しさの計算式に代入する値を迷って
黒板に弾かれて パキンと落とす
どうやっていろどろうか 新しい家を
どうやって試そうか この空気の好みを

あしたどんな色着て どんな味の実食べて
どんなTV見て どんな声出せて

あしたくるか あさってくるか
もうずっとこないかもしれない郵便屋さんに
はじめましてがわりに 何を託そうか

どうやってふちどろうか この不足分を
どうやって飾ろうか 夜の食卓を

どうやって試そうか この空気の好みを

電車がくる
田舎へ向かう一団は
もう旅立っただろうから
そうでない人々と
残った憂いを
ベッドタウンへ運んでいく

滑り込む電車に向かって
歌いだす学生がいる
5限のテストでいっぱい仕入れた謎を
乾いた轟音に紛れるつもりで
はみ出ている
白い線から

暮れ泥む 今というときを
野球部が見える橋の上で
惜しんでみましょう
と、隣りのおじさんが教えてくれる
居眠りさんを起こさないように

日常の中の日常の中の日常の中の日常の中で
紡ぎ上げられていく事と物と
平行線をなす電車で
乗り物酔いをして
ついでに仲違いをして
そぐわないものが落下し
居眠りさんが揺すられるころ
駅は一周して
今日を諦めたりする
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